100系
1961(昭和36)年、線路改良(地下鉄直通の為の20m6連対応)が終了したのを機に、
車両の大型化を始めた。その第一陣として登場したのが、この100系である。富士急行3100系を元にした設計で、
起動加速度3.0km/h/s、最高速度は120km/hとハイスペック。運転台側車端と連結面側車体中央寄りの
2扉片開きボックスシートで優等運用に特化した設計になっている。クモハ+クハの2連を基本とし、
輸送量に合わせて2編成を連結した4連の運用も可能となっている。
1962(昭和37)年3月の白紙改正で登場した特急に投入され、長巳~霞原温泉を57分
(改正前の最速は急行69分)と、当時からその俊足ぶりを生かした。好評だった為、
1965(昭和40)年に増備車が投入され、全ての特急が4連化された。このときの増備車は伊豆急行100系を元にし、
120系と区別された。運転台は貫通型、車体は両端ドアの2扉クロスシートに変更された。
台車が異なる(国鉄DT24)ものの車両性能は100系と揃えられたため、登場当時から100系と共通運用となった。
しかし、時は過ぎて地下鉄直通運転の開始、高度経済成長と共に利用者が増え混雑は激化。朝ラッシュの急行や特急では
6連での運転にも関わらず積み残しが頻繁に出る混雑となり、通勤客からも多くの苦情が寄せられた。
長巳電鉄も当初はこの状況を黙視していたが、積み残された通勤客らが暴動を起こすなど事態が悪化した為、
混雑の対策としてドア横のボックスシートを詰め込みが利く様にロングシートに改造された。
当時はその程度の改造で何とかなったが、その後も乗客は増え続け今では邪魔者扱いされている。
現在も一族合わせて19編成38両全車が特急と一部の急行、快速に活躍中である。登場から40年以上が経過するが、
延命工事などを随時行い、まだまだ長巳電鉄の主役として走り続ける予定である。
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